sketch of PURI 21 - fullmoon , me and india

朝、チャイ屋へ行く。 なんだか今日はグラッソが不機嫌。 しばらくボーっとしてから一旦宿に帰る。 不機嫌は自分でも嫌だし、近くにいる他人でも嫌なもんだ。
何故、インドなのか? よく聞かれる事である。 理由や意味づけはいくらでも出来る。 単純に面白いとか気楽から始まり、懐具合に丁度いいとか、古(いにしえ)からの縁を感じる、などなど・・・。 それらは僕がここで軽く言葉にしてしまうととても軽い印象に受け取られてしまう気がして何か嫌だ。 後々機会を持つことにしよう。 ただほかにこんな面白い国は無いだろうし、オンリーワンな国だろうといえる。 

昼はオリッサベーカリーで済ませる。 今日はひどく暑く疲れる日だ。 日中は部屋でだらだらして夕方に海へ・・・。 海はでっかくてきれいだなぁ、そんな当たり前なことを実感しながら、しばしうっとりする。

インドに初めてきたときの事を今でも思い出せる。 きっかけは魂が呼んでるとかそんなかっこいいものじゃなく、単純なもので日本でのループしてた生活から離れるために旅に行こうと思いついたからだった。 最初はタイにしようと思っていたけど物価がインドの方が安いだろう、それならそっちのほうが長居できるんじゃないかというごく安直な理由。 しかもそれもちゃんと調べたわけじゃなく、そう思いこんでいただけなのであった。 僕の持ってたインドの情報は、ジミヘンのサイケなレコードジャケットとアフロヘアーのサイババがいるってことだけだった。 本当にそれだけだった。

超絶の暑さの中、僕は一人だった・・・。 むき出しの大地の上、生きていること、生きていることの実感。 生き抜くことも野たれ死んでしまうことも自己責任と意思次第である。 まず感じたのは生死がこの身の上で起こることであるという当たり前のことであった。 それは日本では今まで味わうこと、実感として感じたことの無いことだった。

次に強く記憶してるのは既視感、いわゆるデジャ・ヴーといわれるやつだろうか。 ある有名で大きい遺跡の近くにある小さな村で僕は首尾よく?煙に巻かれる・・・。 村では頭の切れるガキが僕の世話についた。 小遣いを稼ぐためだ。 なにかノートが欲しくなった僕は、そいつが誘導するままついていった。

途切れ途切れの視覚の断片で、強い日差しの中、赤い土、バラックの日よけだけの小屋、水がめ、老婆などがが僕の網膜に映る。 それはまさしくインドに行く直前に夢で見た光景と一致する。 あれっ?なんか見たことある、なんか・・・なんて生易しいものではなく、絶対見たことある!なんて思ってるうちに文房具屋についてて、きっちりぼられてた(笑)。

夕方、マヌーの店で休んでるとシバが来た。 少ししゃべってもう一人、前に少し迷惑をかけたらしい男の子(笑)がやってきた。 迷惑をかけた話はさて置き、その子は小さい頃からシバは知っていた奴らしく、唇にピアスがあいてて、輪っかがはまってた。 見た目に反して性格はおとなしくて静かな奴だった、そして何より本当に良い奴そうだ。 話をしてたらだんだん盛り上がってきて、途中で出会ったペインターのラクシミも一緒にレストランでお茶することにした。


(個展で使ったあの写真から20歩くらいのところのカット。 ↑今日のブログのレストランは見えてるHOTEL「DERBY」の向う隣にある。↓)

インドは僕が持ってた世界の姿そのものがそこにあった。 日本のシステマチックで行動や言動、思想すら見えない制約を受ける様な空気じゃなく、むき出しで、猥雑で、善悪聖俗すべてを飲み込む圧倒的な感じ。 それは自由と単純にいうにはまた違う気がするが・・・。 僕は無意味に何の根拠も無くインドは世界の真ん中だと思うようになってた。 ノートにはでたらめの世界と書いてた。 そう、世界はでたらめだ!!

日本でどこに行っても何をしても疎外感を感じる僕をいとも簡単に受け入れて、飲み込んでしまった。 もしそれは勘違いだとしても、そのままでいいと思える包容力がそこにはあった。 
レストランは静かで、気の許せる奴らばっかりだったので気分が良かった。 口ピアスの子はウクライナの女の子と付き合っていて、ウクライナから少し前インドに帰ってきたらしく、やっぱりインドの方が良いと言ってた。 プリーのローカルは、みんな口を揃えて地元が好きだと言う。 なんか京都の人みたい。 そこから他愛ないいろんな国々の話をしたりしてた。 今日はFULL MOON!、満月だ。 昨日から月が大きかった。 僕らは満月の下、とても気持ち良い時間を過した。

インドは沈む太陽がすごく印象的。 それと同時に満月の思い出、月の印象もすごく残ってる。 あと日食もね!

今日の月光も強烈だった。 すごいパワー。 溢れる月の光、僕達は宿のテラスでぬけぬけの月の下、うきうきしながら月光浴を楽しんだ。

はっきり解っていることがある。 それは絶対またインドに帰るだろうし、ずっとそれが続くだろうということだ。 なぜならインドでは僕は世界の真ん中に居れるからだ。