豊かさとは、なんぞや?

 雨が降っている。 今日は、編み上げのブーツを履こうと思い、ひもが抜かれたブーツに久々、ひもを通す。 夏は履かないから、手入れして、しまっておいたやつだ。 大した代物ではない。 決して。

 一穴づつひもを通しながら、最近身のまわりの(特に若い)人が、ドクターマーチンを履いているのを思い出す。 うらやましい(笑)。 ある人はスタイリッシュに、またある人は、だらしなくかぱかぱと。 せっかく良い靴はいてんのにもったいないと思う人がたまにいる。 注意してみると、街には、靴にとどまらず所作に至るまで、残念なことが多々ある。 新しかろう服をだらしなくきこなすものや、リュックのだらしない背負い方、ルイ・ヴィトンに紙袋一緒に持つ人とか(笑)。 腰履きが好きな、ルーズな自分の様な人間でさえ、残念に思う。 あれは、スタイルなのか? 

 今、僕は時間が比較的にゆとりある生活を送っている。 それは、自分が望んでいるので、そうしている。 他人からみれば、ただ無為な時間をもてあましている暇人とも見てとれなくもない。 でも、僕には、必要でそうあるべきな時間なのだ。 あるいは、先ほどの一見だらしなく見える人たちも、そうなのか? 必要然としてのことなのか? すべてが、暴力的にみえてしまう。

 去年の旅に出る前から、身の回りのものを整理して、シンプルにしていく作業が続いていた。 それは、今年も続いてる。 ただ、物だけに関わらず、生活サイクル、人生観にまで及んでいる。 これからも、幾多のものや人、事象が目の前を流れゆくのだろう。 
 
 外は、2月だというのに、春の様に雨が降っている。 ちょっと、話が湿っぽくなってしまったが、実際、今、たいして気分も悪くないし、滅入ってもいない。 ただ、家の出掛けしなに、ふと、よぎっただけだ。 さあ、これからどうしたろかしらん。 このままじゃ、いけないことだけはわっかっているよ(笑)。 ただ、必要でもない事物のために、せかせかしたくない。 なう。